2016年 05月 30日

祖父と父

祖父は愛知県から昭和初期、北海道に開拓者として移住しました。当時は電動工具や重機が無い時代、人力で農地開拓をし住宅、倉庫、工場を設計・施工を全てセルフビルドで行いました。祖父が開拓し、父は事業を発展させました。農業を中心に、デンプン工場、そして牧草加工業を営みました。

私の住体験

・0歳〜5歳 〜 祖父・父が作った住宅(以下:要塞)に住む。
・小学校・中学校 〜 昭和56年に地元工務店が建築した新居に住む。5LDK(同じ敷地内)
・高校生 〜 一人の空間が欲しくて要塞の一部をリノベーションし住む。
・大学1年生 〜 下宿で共同生活。
・大学2〜4年生 〜 1DKアパートに住む。
・社会人(旭川〜札幌)〜 1DK、2LDKアパートを数件経験。
・住宅新築 35歳 〜 4LDKに住む。
・住宅+アトリエ 〜 住宅をリノベーションし5LDK+2階建てアトリエを増築 。

生きるための要塞

祖父と仲間で建築した住宅、私は「要塞」とよんでいます。要塞は失敗を繰り返す度に手直しを繰り返し改善していったそうです。もちろんセルフビルドで全て行っています。

要塞どんな建築?

とにかく巨大でした。複合施設です。住居スペース以外はコンクリートや土の床(土間)で連続し土足で行き来できます。高低差のある傾斜地建築なので傾斜地を利用したスキップフロアー、階段の途中に10〜12畳位の部屋が10部屋程連結していきます。最上階には梯子で登るロフト空間があり展望台となっていて農地を一望できました。


高低差がある土地の下レベルは水が湧きます。水の道ができているので同じ場所から水が湧きます。祖父は水が確保できる傾斜地の下に水回りをつくりました。合理的です。

写真は私が大学生の時に裏山から撮影した実家、昭和56年に建築した住宅以外は全てセルフビルドです。青の板金で統一されているのは、デザインなんでしょうか・・・デザインの違う建築が昭和56年に新築した住宅です。その左側が要塞です。

要塞仕様

コンセプト:一つの屋根の下に集約された多機能

構造:混構造 木造+コンクリート造+ブロック造 3階建て

用途:複合施設〜共同住宅(従業員含む)、作業場、倉庫

所要室:
・住宅の個室 約20部屋 
・食堂15〜20畳
・作業場 30畳
・洗濯室、浴室(五右衛門風呂)8畳
・従業員休憩所 15畳
・玄関+作業場+薪置き場 15畳〜20畳
・物置 15畳
・トイレ 男2、女2  10畳

受け継ぐ

私が建築好きになったのは祖父・父の影響がとても大きいです。
いつも何かをつくっている二人の背中を見て成長してきました。

父・祖父の影響で力を入れている分野で大好きなのは自然と暮らす建築です。前事務所に勤めている時は、厚真町で3案件、蘭越町で1案件、江別市で1案件、自然の建築を経験しました。開業後はラフ&スロー、kinari-houseも同様に自然を開拓し住宅を建築するプロジェクトでした。

私自身年を重ね先月40歳になりました。
最近は祖父・父の影響が私の人生に受け継がれていると深く感じます。
開拓者のエネルギーを現代に伝える活動を積極的にしてきたいです。